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12月1日音楽史講読「ノートルダムの音楽」 (東京)
202頁~217頁。
ノートルダムで行われたイギリス王ヘンリー6世の戴冠の模様について述べられている。これは百年戦争のさなかの出来事であるが、この時代は様々な人物が綺羅星の如く輩出し、歴史家、詩人を魅了して止まない。
ここではまず、自身の夫人(チョーサーの孫でもある)を巡りブルゴーニュ公フィリップの引き起こした色恋沙汰で傷ついたサフォーク伯ウィリアムの心を癒すためジル・バンショワがロンドーを書いた事があげられている。
齢十歳の幼君ヘンリー6世のノートルダムにおける戴冠は、百年戦争のさなかオルレアンの囲みを破りランスで戴冠したシャルル7世に対抗の意図もあり行われた。イギリスは二十五人のラッパ手とニ、三千の軍隊を伴い国威発揚に努めたが、当時パリ・ノートルダムにはなかった(フランス王はランスで戴冠するのが慣例)国王戴冠のための次第書(次に使ったのはナポレオンだった)とそれに伴う音楽をもたらした以外、結局何も遺さなかった。

戴冠式の際に振る舞われた英国側による宴席料理は、パリ市民には大変不評であった。 尚、戴冠の際、当時5名の朝課歌手しか擁していなかった(貧相な)ノートルダムの聖歌隊によって歌われた単旋律聖歌のレスポンソリウムEcce mitto angelumを試唱し、ジョン・ダンスタブル(フランスにおける英国の摂政ベッドフォード公に仕えていた)によるキリエを試聴した。戴冠式のミサで、26名からなる英国の伝統ある聖歌隊によって演奏されたと考えられるのは、ダンスタブルの三位一体トロープス付のミサDa gaudiorum premiaである。

次回はルネサンス時代の国王フランソワ1世との関わり。

(YI)
by fonsfloris-k | 2012-12-03 22:34 | 講座レポート
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