人気ブログランキング | 話題のタグを見る
4月24日グレゴリオ聖歌演奏法(東京)
今年度のテーマは、2月2日の祝日。永らく「幸福なるおとめマリアのお清めの祝日」(In Purificatione Beatae Mariae Virginis)として親しまれてきたこの祝日の現在の名称は、「主の奉献の祝日」(In Praesentatione Domini)。降誕祭40日後の祝日という位置づけで、クリスマスの一連の祝日の余韻を感じさせてくれる。

 「マリア様の光のミサ」(独・Mariae Lichtmeß) という別名でも祝われるとおり、このミサのキーワードは、「光」である。なぜなら、この祝日の中心に据えられている聖書物語がイエスとシメオンの出会いだから。マリアの出産後の清めの期間が終了したとき、初子を神に献げるために、ヨセフとマリアは幼児イエスをエルサレムの神殿に連れていく。メシアに会うまでは決して死なないという約束を神から受けていたシメオンは、聖霊に導かれて神殿に入り、幼児イエスを腕に抱いて神を賛美する。「主よ、今こそあなたはお言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしは、この目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」(ルカ2章29-32節)

初めに、蝋燭の聖別と行列とともにEcce Dominus( Graduale Triplex, p. 539) が歌われ、主の到来を宣言する。この歌に対する応答としてシメオンの讃歌の一部である「諸民族とイスラエルを照らす光」というフレーズを繰り返し歌うことによって、祝日の主題が明確になる。続けて歌われるAdorna thalamumは、「シオンの娘よ、花婿キリストを迎え入れよ」という内容のアンティフォナで、歌詞の出典は不明だが、重要なキーワードがそこには凝縮されている。特に、音楽的にもハイライトになっているnovi luminisとadducens manibusとDominum eumの三箇所は、内容的にも互いに関連づけられている。つまり、幼児イエスを腕に抱いて神殿に入るマリアのイメージが蝋燭に新しい光をともす行為と、キリストを主とたたえる行為とに重ね合わせられている。これに加えて、歌詞の中盤に織り込まれているFilium ante luciferumは、子なるキリストが天地創造以前に父なる神より生まれたということを語っている。

シメオンの物語を想起したこれら一連の歌に応答する形で、入祭唱Suscepimus, Deusが歌われる。つまり、ここでシメオンの視点を「我々」にまで広げ、聖書の物語を典礼の中で再解釈することになる。Suscepimus, Deusの中に登場するfines terrae の箇所は、降誕祭のミサのCommunio唱(p. 50 )の余韻を漂わせている。

最近、Kyrieが省略されるようになったが、私たちは伝統的な様式に従って、聖母のミサで使用される第9のKyrieを歌う。

Commuio唱 Responsum accepit Simeonには、「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた」 (ルカ2章26節)という言葉にふさわしく、連動的に展開する神秘的な旋律が付けられている。

(E.D.T)
by fonsfloris-k | 2013-04-24 19:00 | 講座レポート
<< 4月27日 ルネサンス音楽を歌... 4月17日ソルミゼーション~中... >>