2013年 08月 03日 ( 1 )
8月3日音楽史講読「ノートルダムの音楽」 (東京)
第8章 作曲家たち(Composers)
前半(273~281ページ)

中世のヨーロッパには、作曲だけを専門に行う「作曲家」は存在しなかった。したがって、たとえば典礼で歌われる多声曲は、音楽理論で認められた一定のルールに従って聖職者によって即興的に作られ、演奏されていた。作曲と演奏はほぼ一体であり、音楽の創造に携わる人々はみな、演奏者兼作曲者だったのである。

ところが12世紀になって記譜法が発達すると、リズムとピッチを視覚的に表現することが可能になり、演奏の現場以外でも、理論に基づいて作曲できるようになった(注1)。その結果、3声や4声の多声曲のリズムが急速に複雑になり、同時に、1つの曲を1人で作曲して「自分の作品だ」と主張する作曲家が現われるようになる。

(注1)花井先生の解説: 記譜法が発達したからといって、何もないところから音楽を創造できたとは思えない。むしろ経験が定着して後の時代まで残った、具体的には、即興で演奏されていた音楽が楽譜として定着したという見方をすべきだろう。逆に言えば、残されている作品が当時の音楽のすべてではない。消えていった音楽は、残された音楽の何百倍、何千倍もあったのではないか。楽譜として残っている作品は「一番良いものだから残された」と考えることもできる。

Anonymous(匿名)によらない多声曲が最初に登場した写本は、カリクストゥス写本(Codex Calixtinus)である。この写本はスペインのサンチアゴ・デ・コンポステラの聖ヤコブ教会で使用されたものだが、収められている音楽作品は中央フランスと北フランスで作られたものであり、それらの作り手も同じくフランス出身の、社会的な地位や教養の高い教会関係者だった。

実のところ、12~13世紀の作曲家は多芸多才で、音楽以外にも天文学、修辞学、数学などの非常に幅広い分野の知識や職業的能力を併せ持つ人々だった。それが時代を下ってルネサンス期になると、より現代の意味に近い、作曲の専門家たちに取って代わられるようになる。そのような時代へと移行する過渡期の作曲家を何人か紹介しよう。

Adam Precentor, Adam of St. Victor
アダム・プレセントール、あるいはサンビクトールのアダム


12世紀のパリの音楽家については、誤った情報が多い。セクエンツィア(続唱。典礼で昇階唱後、福音書朗読の前に時々歌われる聖歌)の作曲者として有名な「サンビクトールのアダム」は、従来はアダム・ブリトという人物だと思われていた。しかしその後の研究で、ノートルダム大聖堂のプレセントール(=カントール)だった別の同名の人物だということがわかった。混乱の理由は、パリの郊外にあったサンビクトール修道院の関係者が、著名な詩人や音楽家と同修道院の密接な関係を過度に誇示する記述(その一部は誤り)を残したためである。

サンビクトール修道院は、ノートルダム大聖堂の副司教によって、1108年に設立されたアウグストゥス派の修道院である。当時は大聖堂での喧噪や政争に疲れた聖職者たちが、心を休めるために訪れる「避難所」だった。多くの人が集まるようになった同修道院は、宗教活動や研究、教育の中心地として次第に発展していった。

ノートルダムのカントールだったアダムは、サンビクトール修道院の設立に尽力し、その後同修道院での重要な行事を記念するセクエンツィアを作曲した。しかし最新の研究では、アダムの作品の大半は、サンビクトールではなくノートルダムのために作られたとされている。アダムは、古い聖歌に新しい歌詞を付けたり、新しい旋律を加えたりして、作曲した。彼の代表作である Gaude prole Grecia はノートルダムでの重要な行事で年に3回歌われていた。

Magister Albertus Stampensis: Precentor Parisiensis
アルベルトゥス・スタンパンシス大先生(パリのプレセントール)


カリクストゥス写本には、聖ヤコブを讃える Congaudeant catholici という3声のコンドゥクトゥス(オルガヌムの一種)が収められており、作曲者は「パリのアルベルトゥス大先生」と記されている。Congaudeant catholici がパリのノートルダムと関わりを持つ曲かどうかはわかっていないが、フランスで作られた曲であることはわかっている。サンチアゴデコンポステラへの巡礼の出発点はパリのノートルダム大聖堂であり、当時、両者の間にはつながりがあった。

「パリのアルベルトゥス大先生」は、ノートルダムの参事会員でカントールだったアルベルトゥス・スタンパンシスだと言われている。アルベルトゥスは重要な典礼を取り仕切るなど、ノートルダムのカントールとして音楽的能力を存分に発揮して活躍した。しかし、アダムやアルベルトゥス以降のカントールは、徐々に、音楽ではなく、教会の運営に携わるようになる。代わって典礼の音楽を担当したのはスブカントール(=副カントール)だった。

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次回の講座は281ページのレオニウスからです。

講座のなかで、3つの演奏者(団体)による、アルベルトゥスの Congaudeant catholici の演奏を聴きました。演奏者によって、同じ曲とは思えないほどリズムやテンポが大きく違っていて驚きました。

067.gif本日のお菓子は、特別な梅の実で作られた梅ゼリー016.gif
食べるのに夢中で写真を撮り忘れましたが、とてもさわやかな美味しいゼリーでした。

(CT)
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by fonsfloris-k | 2013-08-03 10:00 | 講座レポート